母が仕事で上京したので、お供でホテル宿泊。
夕食をいただきながら、「さいきんクラリネットをはじめてねー」と話すと、はてな、という表情。音楽がらみのお仕事や音楽がらみの人間関係が多いという話はしているものの、娘が音楽を演奏する側にいこうとしているのには、やはりいまいちピンとこない様子。そりゃあそうか。マネージャーと聞いていたはずが舞台によじ登ろうとしているなんて、そんな姿を想像してみたところで、なにを無茶苦茶な、ちゃんと仕事せえよ、と思うのだろうなあ。
7歳から17歳までの10年間ピアノを習っていた。母親は「あなたが弾きたいっていったからよう」と言うけれど、実のところ覚えていない。まわりのおともだちが幼稚園でのカワイ音楽教室に通っているのを羨んで言ったのか、軽い気もちで習いごとをはじめたいと思ったのかも覚えていない。最初の2年間は音楽教室に通って(待ち時間に読んだ『まことちゃん』の、なんと恐ろしく面白かったことか!)、その後の数年間は毎週火曜日になると先生が家にやってきた。よそでピアノを習っている子たちが共通言語で語る「バイエル」は手渡されず、別の教則本と練習曲を弾きながら、なんでかなあ、と思った。いま思えば、不まじめな生徒に対しても、先生は実に真剣に教えてくれていたと思う。ポップスをアレンジした曲は、わたしが弾きたいと持っていけば教えてくれたのだろうけれども、まあ、そんなこともなかったので、大抵は先生が選んでくれた曲を練習していた。指の練習を念入りにして、リズムをからで覚えて、曲を歌ってから、それから弾いてごらんといつも言っていた。まあ、レッスンの半分以上の時間は、わたしはいつもうわの空で、お菓子とあそびのことばかり考えていたのだけれども。もったいないぞう。
ちなみにピアノをはじめたのと同時期、幼児期に習ったことのあるお稽古ごとは、水泳、体操、フィギュアスケート、絵画、お習字など。母親の趣味も相まっていたのか意外に多い。まあそれらさまざまな芸術方面への関心は、8歳になったところで小学校のミニバスケットボール少年団に出会ったところで、すべておざなりにされてしまった。
話は戻る。母親は、はてな、という表情をしていたけれど、ハタリさんはクラリネットに目覚めてしまったのだ。母親が仕事に出かけてしまったので、空いた時間に銀座まで。ぶらぶらとオシャレショッピングをしてから、ふと、和光の角を曲がって山野楽器に入ってみた。
階上の楽器フロアへ。管楽器、クラリネットのコーナーをのぞく。
先生に楽器を選定していただいたときは、クラリネットの仕組みも知らず、木管と金管の違いも、マウスピースやリードが何なのかもよくわからず、楽器屋に出向いても「よくわかんないけど、楽器ってえらく高いんだなあ!」と驚いていたばかりだったのだけど、いま、すこしだけ吹けるようになってくると、楽器を見るだけでも面白くなってきた。
ショーケースの中に飾られた楽器を試奏するわけでもなし、高い値札を見てなにがたのしいのかはよくわからない。でも、あの楽器を手にとって吹いたらいったいどんな音がするんだろう、と、考えるだけでもワクワクしたりするのだ。いまだわからないことだらけだし、楽器やパーツそのものに別段関心があるわけではないのだけど、あ、あれ、知ってる、ということが思いのほか、興味の引っかかりになるものだ。たとえば行ったことがある町の景色が不意に画面に出てくると、がぜんその映画に興味をもったりとか、そういうこと。言ってみればまだその程度の知識しかないのだけれども。
なんだかちょっとたのしいハナシではないか。
って、母親に言ってみたところで、やっぱりピンとはこない表情のままだったけれど、「まあ、たのしくやりなよ」と言ってくれたので、それはそれでいいのだ。